克服ストーリー

Story
悩みを克服したカウンセラーの道のり

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悩みを克服したカウンセラーの道のり


はじめまして

心理カウンセラーの松尾直子 です

ホームページをご覧下さり、ありがとうございます。

「カウンセリングを受けよう」
そう決断するまで、とても迷いますよね。

「このカウンセラーで間違いない?」
「信用できる人なのかな?」

申し込みボタンを押すその瞬間まで とても不安だと思います。

私の印象として良く言われる事ベスト3は

  1. 話しやすい、何でも話せてしまう
  2. 話に説得力がある、アドバイスが的確
  3. 安心感がある

どのクライアント様からも同じことを言われます。

私自身、過去に 社会不安障害(あがり症)を発症した身ですので「人前で話す」という事がどれだけ緊張することか…痛感しています。

なので、初対面でも極力 緊張せずリラックスしていただけるように、安心できる雰囲気づくりを人一倍心掛けています。

カウンセリングを受ける場合、カウンセラーである私との相性がとても大切になります

文章からも人柄や想いは伝わる」と、私は思っています

ぜひ、あなたの直感を信じて下さい。

私がこれまでどんな風に生きてきて、どのような生きづらさを抱え どうやって克服したのか

そのすべてをまとめたプロフィールです。
どうぞお時間をつくってご覧下さい。

目次

1分で読める簡単プロフィール

改めまして、心理カウンセラーの松尾直子です。

私は現在、アダルトチルドレンや愛着障害を克服したい方専門のカウンセラーとして活動させて頂いています。

中でも、夫婦・親子問題に悩むママたちから、ご相談を受けることが多いです。

そして、私自身もアダルトチルドレンや愛着障害を克服した経験者です。

カウンセラーになる前は美容師として働いていました。ざっと換算して3万人以上の接客経験があります。

当時から、お客様やスタッフに悩みを相談されることが多く、美容師時代に培ったこの経験もカウンセリングをさせて頂く上で大きく役立っています。

そんな私ですが、自分の心の問題にハッキリと気づけたのは今から10年ほど前…30歳過ぎた頃でした。

それまでアダルトチルドレンや愛着障害のことは勿論のこと「自己肯定感」という言葉すら知らずに生きてきました。

過去の私の言動を振りかえると、アダルトチルドレンの特徴に当てはまる事ばかりで、愛着障害の傾向も強く出ていました。

「なぜ気づけなかったのだろう…」と驚くほどです。

私が、アダルトチルドレンや愛着障害だと気づけたきっかけは2つあります。

ひとつは「子どもをうまく愛せない」という問題に直面したこと。

職場での私は良い評価をされる事が多く、周りからの信頼も厚い優等生タイプ。

家庭での私は?というと…もう最悪でした。


いつもイライラ心に余裕がなく 家族に対して自分のルールを押し付けてばかり。

夫に対してはモラハラな態度をとっていましたし、子育てにおいては完全に毒親でした。

でも当時は「家族のため、子供のため」と本気で思っていたんですよね。それがまさか、反対に家族を苦しめていたなんて…

無自覚だったとはいえ…もしあの時、自分の過ちに気づけていなかったら…おそらく家族は崩壊していたと思います。

そして、もうひとつのきっかけは
「起業したこと」でした。

既に、自宅の一角に小さな美容室を営んでいた私でしたが、セラピストという新しい世界に挑戦したことが、人生の流れを大きく変える転機となりました。

特に、SNSやブログを書き始めたことは驚きの変化をもたらしました。講師として講座やスクールなど主催するようになったり、遠方や県外からも申し込みを頂けたり…

美容師時代には予想もしなかった毎日に一変したのです。

けれど、それと同時に

  • 仲間や知人の成功にさえ嫉妬してしまう
  • 過剰な承認欲求
  • 人と比べて劣等感を感じる
  • 失敗することがとても怖い
  • 人から必要とされない自分には価値がないと思う


自己肯定感の低さ、自尊心の低さを、思い知らされるような問題が山ほど出てきたのです。

その後、追い討ちをかけるかのように社会不安障害を発症。

次々に突きつけられる自分の問題を何とか克服したくて、占い・自己啓発・スピリチュアル・などの学びに没頭していきました。

また、メンタルさえ強くなれば劣等感からも解放されるはずと信じていた私は、心の弱さを克服するために様々なことに挑戦してきました。

でも、どれだけ人から認めて貰えても、仕事でいい結果を出せても、頑張っても頑張っても不安や劣等感が消えることはありませんでした。

その後も、間違った方向に頑張り続けてしまったがために時間もお金もかなり費やしてしまいました。

そんな私を最終的に救ってくれたのは「インナーチャイルドケア」と「自己受容」でした。

幼い頃に、心に負った心の傷を癒していく中で、私をずっと苦しめていたのは周りではなく「自分自身だったんだ」ということに気づけました。

過去の私は、自分の土台づくりを放置したまま、ノウハウやスキルばかりを追い求めていただけだったので空回りばかりで、まったくうまくいきませんでした。

やがて私は、自分の大きな間違いに気づき、人間としての土台づくりの必要性を知り、実際に取り組んだことで、人生に大きな変化を起こすことができました。

自己受容できるようになれたことで「ありのままの私で生きる価値がある」そう思えるようになりました。

「インナーチャイルドケア」と「自己受容」は、今では私が教える心の土台構築実践プログラムの核となり、多くのアダルトチルドレンたちの心の再構築に役立っています。

ここまで読んで頂きありがとうございます。ザックリではありますが私のこれまでの人生をお話しました。

とはいえ、この短い文章の中で全てを語ることは難しい所です。長文になりますが 幼少期からの生い立ちをはじめ、もっと詳しいプロフィールを書きました。

こちらを読んでいただければ、アダルトチルドレンや愛着障害に至るまでの詳しい経緯や克服までのストーリーを知っていただけます。

私の経験があなたの悩みを解決するヒントになるかもしれません

興味がある方は このまま読み進めて頂けると嬉しいです。

もっと詳しいプロフィール

「私はいらない子」幼い私が負った心の傷

私は 福岡県の田舎町で、父・母・弟の4人家族の長女として生まれました。

2歳違いの弟が生まれて間もなくして、私は一人 父方の祖母の家に預けられ、2歳から幼稚園入園前までの間、親元を離れて育ちました。

祖母は、しつけに厳しく教育熱心な人でした。祖母と暮らした中で楽しかった思い出は数少なく、私の記憶に残っている事と言えば

読み書きを教えられたことや、おねしょをする度にお灸をされていていたこと

今でもその光景が目に浮かぶほど…お灸は本当に嫌で怖かった。

家族に会えない寂しさ…特に母に会えないことがとてもつらくて早く家族のいる家に帰りたかったけれど、幼い私にはどうすることも出来ず、祖母のもとで母の迎えを待つしかありませんでした。

「私は捨てられたの?」
「私はいらない子なの?」

と、思いました。

私にとって この出来事が、はじめて負った心の傷です。

そしてこの傷が「トラウマ」となり、その後の私の人生に大きく影響を与えることになるとは… 思いもしませんでした。

「ちゃんと出来ない私には価値がない」強い思い込みの原点

幼稚園に入園するタイミングで、家族の住む母方の祖母の家に戻ることができました。

ある日、私が絵本を読んでいると、母や祖母たちは とても驚いて「まだ幼稚園生なのに絵本が読めるなんてスゴイね」と褒められたことがありました。


私は褒めてもらえたことがとっても嬉しくて、特に滅多に褒めない母が褒めてくれたことが嬉しかったんですね。

それと同時に「いい子にしてればもう預けられることはないかも」とも思いました。

大人になった私には「人に認められたい」「人に必要とされたい」と過剰に思ってしまうところや、期待されると つい頑張り過ぎてしまう癖がありました。

過剰な承認欲求や頑張り癖は、幼い私が自分を守るために決めたルールだったのだと、今の私には理解が出来ますが、もちろん当時の私がわかるわけがなく

その後も着々と強固な頑張り癖を形成していくことになります。

ギャンブル依存の父に怯える日々

幼稚園の年長の頃、母方の祖父の家を出て家族4人の生活が始まりました。

父親との良い思い出は全くと言っていいほどなく 覚えている事と言えば

・定職に就かずパチンコばかりしていた事

・機嫌が悪くなると怒鳴られたり八つ当たりされていた事

・父が怖くて顔色をいつも伺い、機嫌が悪くなると弟と押し入れに隠れたこと

そんな父とは真逆で、母はとても頑張り屋さんでした。育児 家事 全部を一人でこなし、働かない父の代わりに家計も支えていました。

母はいつも忙しく 親子のスキンシップは殆どありませんでした。いつも弟と二人で寂しかった記憶があります。

家族4人での生活は長くは続かず 気丈に振る舞う母も次第に弱っていきました。見兼ねた祖父や叔父が母を説得し、強制的に母の実家に戻ることになりました。

父がパチンコに行ってる隙に出来る限りの荷物をトラックに詰め込み逃げるように家を出ました。

私達がいなくなったことに気づいた父は、すぐに私たちを連れ戻そうと怒鳴り込んで来ましたが、祖父が母に会わせることなく追い返しました。

そんな光景を見るのも、とても怖かった記憶があります。

両親の離婚、母が鬱病を発症、行方不明になる大事件が起こる

小学2年生の時、両親は正式に離婚。
私たち家族は母方の祖父の家に住むことになりました。

離婚当時の母は心身共に衰弱していました。そして忘れもしない 突然 母が行方不明になるという大事件が起こったのです

祖父や祖母が必死になって母を探す姿を 私は部屋の片隅で見ていました。

結局、数日後に無事に帰ってきましたが「あの時は死ぬつもりだった」と大人になってから聞きました。

「母が帰ってこないかもしれない恐怖や不安」を経験した私は、ますます母に執着していきました。

幼かった私は気づけませんでしたが この頃、母は 鬱病にもなり1年間、通院、投薬治療をしていたそうです。

ただ記憶に残ってるのは、祖母から事あるごとに「お母さんに迷惑かけたらいけんよ」と、言われていたことは覚えています。

さみしさと嫉妬心でいっぱいだった小学生時代

小学生の頃の私は いわゆる「いい子」でした。祖母の言いつけを守り、母に迷惑をかけないように出来る限りワガママを言わないように色んなことを我慢しました。

内向的だった私は、お絵描き、塗り絵、編み物など屋内での遊びが好きでした。

けれど厳しかった祖母に、いつも「天気のいい日は外で遊びなさい」と怒られ、我慢して外で過ごしました。

・やってみたかった習いごと
・髪を長く伸ばしたかったこと
・犬や猫を飼いたかったこと
・見たかったテレビ番組

「ダメ」と言われて全部諦めました。

母や祖母の言うことを聞いて、こんなに良い子にしているのに…可愛がってもらえるのは、いつも弟でした。

姉弟喧嘩をすると いつも私が怒られました。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」

と…私の話は聞いてももらえず、いつも言われることは同じ。

弟と自分を比べて愛情の差を感じて本当に寂しかったですね。

「どうせ私は…」
「何で私ばっかり…」

と、どんどん卑屈になっていきました。弟のことを憎らしく思うこともありました。

そんな時、いつも脳裏に浮かんでくるのは「私はいらない子だから預けられたんだ」という悲しい記憶…

私は家族といても、いつも一人孤独でした。

当時「母子家庭」はまだ珍しく、時々ある父親参観がとても嫌でした。

他の子たちはお父さんが来てるのに 私はいつもお母さん。恥ずかしかったし嫌だったけれど お母さんを悲しませたくなくて平気なふりをしました。

また母は母で「離婚して出戻り」だということで肩身の狭い思いをしている様子を、子供ながらに感じていました。だからこそ、そんな母を困らせるようなことだけはしたくないと思いました。

こんなに頑張ってるのに報われないことが悲しくて、歯痒くて仕方ありませんでした。

そんな私の心の拠り所は、母の妹…「叔母」の存在でした。

年に何度かの叔母の帰省が私の唯一の楽しみでした。叔母はとても優しく、私と弟とわけ隔てなく接してくれて私の話を一日中聞いてくれました 。

叔母のおかげで心が救われました。

大人になっても根強く残った、いじめのトラウマ

小学生時代の私には、もうひとつツライ出来事があります。それは近所に住む同級生からのいじめでした。

仲間外れにされたり、私の顔を見ながら あからさまにヒソヒソ話をされたり、みんなの前で笑いものにされたり…

長い間いじめられ本当につらかったです。

つらかったけれど、余計な心配をかけたくなくて母にも家族にも言えませんでした。

親に言うと「余計にいじめられるのではないか、仕返しが怖い…」という理由もあったと思います。

大人になった私は、いじめられていたこともスッカリ忘れていたのですが、
人の目が過剰に気になることだったり、笑われるかも、バカにされるかも…という謎の恐怖心は未だに残っていて

社会不安障害を発症したのも、いじめによるトラウマもひとつの要因だったと思っています。

依存対象が母親から恋人へ…恋愛に依存した学生時代

こうして振り返ると、私の幼少期には「つらい・さみしい・悲しい出来事ばかり」がギュッと詰まっていますね。

けれど、大人になった私は幼少期のことをスッカリ忘れていたのです。

それは何故かというと、幼少期以降の私は人とのご縁にとても恵まれたからです。特に中学時代の友人たちには本当に救われました。

親との関わりの中で知ることが出来なかった愛着(人との絆)は友人達が教えてくれたといっても過言ではありません。

そのくらい 嬉しいことがあったとき、つらいとき、悲しいとき、どんな時も友人達が傍にいてくれました。

親子関係の中で得られなかった安心感を友人達のおかげで手にした私は、そのおかげで母を求めなくなりましたが

恋愛に依存するという新たな問題がでてきました。

初めて付き合った彼氏は、束縛の激しい人でした。
男友達とは一切話してはいけない、気に食わないことがあると、今でいうDV的な事をされたり…

けれど束縛されることも芯から嫌だとは思えず、むしろ

「私のことをこんなに思ってくれているんだ」と嬉しく思ってしまう自分がいました。

その後の恋愛も、こじらせることが多く、彼氏とうまくいかなくなると

「何も手につかなくなる・眠れなくなる・食事が喉を通らない」というように、恋愛に一喜一憂していました。

ハマると周りが見えなくなり「都合のいい女」から抜け出せないこともありました。

この他にも恋愛における謎のマイルールがあって

・必ず相手から告白してもらう
・彼よりも自分の方が優位でいたい
・相手の愛情を試すような事をする

など、こじらせ要素は満載。

当時は全く自覚がなかったけれど、私の愛し方には問題点がたくさんあり 愛着障害の特徴もかなり出ていること が、今となっては良くわかります。

アダルトチルドレンの特徴が役立った美容師時代

高校卒業後は夢だった美容師の道に進みました。

社会人になってからも恩師・同僚・後輩に恵まれ順風満帆な生活を送りました。

アダルトチルドレンの特徴である

・人から認めてもらいたい気持ちが強い

・人の役に立ちたいと過剰に思う

・人の目や評価を気にする

・手を抜けず頑張り過ぎてしまう

これらの特徴のおかげで、周りから信頼を得たり 相談されたり リーダーを任されたりと、仕事で良い評価を得ることが多かったです。

・期待されるから頑張る

・劣等感を感じたくないからもっと頑張る

・頑張るから評価される

このように仕事面ではプラスに働くことが多かったので、自分の心の問題に全く気づけず、アダルトチルドレンの要素を どんどん強固なものにしていきました。

22歳で思いもかけない妊娠

22歳の時、現在の夫との間に娘を授かりました。

正直、想定外の妊娠で戸惑いはあったけれど 夫とは学生時代からの長い付き合いだったし「この人となら きっと大丈夫」そう思えたから 子供を産んで二人で育てて行こうと決めました。

夫は優しく温厚な性格で周りの人からの信頼も厚く、いつも沢山の人に囲まれていました。

そんな夫の家族もみんな温かい人たちばかり。私を実の娘のように、とても可愛がってくれました。

「息子と結婚してくれてありがとう」
「直子ちゃんがお嫁さんで本当に良かったよ」

と度々言ってくれました。

褒められ慣れてない私は「ありがとうございます」と素直に受け取れず

「私はお義父さん達に感謝されるようなこと何も出来ていませんから」

と、可愛げのない言葉を返すことしか出来ませんでした。

当時の私には「何もしなくても ありのままで愛される」ということが、どうしても理解できなかったのです。

家庭環境の違いを思い知らされ、どんどん歪んでいく心

結婚してから、自分の家族と夫の家族を比べて劣等感を抱くことが増えていきました。

私はこれまで「寂しい」と感じることはあっても、母や祖母たち それから育った環境に対して憎みきれずにいました。

母は女手一つで私達姉弟のことを 何不自由なく育ててくれましたし
幼少期に私を預けたことも 「やむを得ない事情があったんだろう」と自分なりに理解しているつもりでした。

厳しかった祖母も「しつけ」として言ってくれている…と、子供ながらに理解していたからです。

けれど、絵にかいたような温かい夫の家族といると、どうしても比べてしまうのです。

夫の家族が正解
自分の家族は欠陥だらけ

自分の家族に対して、苛立ちや 恥ずかしさすら感じるようになっていきました。

誰からも愛される夫を見てると
「こんな温かい家庭で育てば、穏やかで温厚な人になれるんだろうな」と思いました。

私が、きつい性格に見られてしまうのも、ひねくれた性格になったのも「全部お母さんのせいだ!育った環境のせいだ!」と思いました。

そして、それと同時に 親に対して そんな風に思ってしまう自分は最低だ とも思いました。

どこにもぶつけることの出来ない 行き場のない思いに苦しみました。

「旦那さん 優しくて本当にいい人だよね 羨ましい」と、どこに行っても夫を褒められました。

その度に「それに比べてあなたはダメね」と言われているような気がして勝手に落ち込みました。

私は次第に 夫にさえも強い劣等感を抱くようになっていったのです。

人を頼れない、本音を言えない問題

完璧を求めてしまう性格だった私は、家庭と仕事のバランスを上手にとることが出来ずにいました。

人を頼ったり甘えたりすることも苦手だったため、全部ひとりで背負い込んでイライラや不満を勝手に溜め込んでいきました。

夫は相変わらず優しくて

「疲れてる時は無理して家事をしなくて大丈夫だよ」

「晩ご飯も お弁当でいいよ」

「気晴らしに友達と飲みに行っておいでよ」

と、いつも気遣ってくれました。

けれど、そんな夫の優しい言葉も無神経に感じました。

「お弁当だってタダじゃないんだし」

「飲みに行くにしても晩御飯準備していかないといけなにのに」

と、イライラしました。

優しさを受け取れないクセに、頼まないと手伝ってくれない…と「察してくれない夫」に不満がどんどん募っていきました。

普段は自分の意見をハッキリ伝えられるのに

「助けて欲しい」
「手伝って欲しい」

の一言が何故か言えない…夫なのに家族なのに 弱い自分を見せられない…

あからさまに不機嫌な態度をとって夫に気づかせる事でしか、自分の本音を伝えることが出来ませんでした。

この本音を言えない問題にも「幼少期のトラウマが関係していた」ということも、随分あとになって気づき驚きました。

子供をうまく愛せない…ダメな母親だと自分を責め続けた日々

娘が生まれるまで「我が子を可愛いと思えるのだろうか?」と漠然とした不安がありました。

けれどそんな心配はいりませんでした。生まれたばかりの我が子をこの手に抱いた瞬間から娘のことが愛おしくてたまりませんでした。


「片時も離れたくない」そんな気持ちになりました。

娘は両家にとって初孫だったこともあって 家族みんなから溺愛されました。

みんなに可愛がってもらえることは嬉しいこと。

それなのに私以外の人に抱っこされるたびに 娘を奪われてしまうような気持ちになりました。

パパっこの娘をみると、夫にも嫉妬心が芽生えたりもしました。

今まで感じていなかった感情が次から次へと湧いてきて、とても戸惑いました。

そして娘の出産から4年後、息子が生まれました。

毒親へのカウントダウンがはじまる


娘は、幼い頃の私と同じ「お姉ちゃん」になりました。

ここから 私の子育ての歯車はどんどん狂い始めました。

小さい頃、弟ばかり可愛がる母や祖母を見て「私が親になったら、こんな風には絶対にならない」

そう心に誓ったはずなのに、気づいたら母そっくりな母親になっていました。

息子が生まれてから 何故だかわからないけど 娘とのスキンシップに抵抗を感じるようになっていきました。

娘は私にママの絵を書いてプレゼントしてくれたり「ママ大好き」と、たくさん言ってくれましたが、素直に喜べない、抱きしめてあげられない、それどころか嫌悪感を感じてしまう…最低な自分がいました。

娘はとてもいい子
そして間違いなく私にとって愛おしい存在

「それなのになんでなの?」
「どうしてこんな気持ちになるんだろう」

と、不思議で仕方ありませんでした。

どうして私は、周りのお母さんみたいに出来ないの?

「私はなんて冷たい母親なんだろう」
「私は最低な母親だ」

と罪悪感でいっぱいになりました。自分のことをたくさん責めました。

母親を求める娘の姿は 幼い頃の私そのものでした。

娘に対して感じていた嫌悪感やイライラは 愛されない無力だった幼い頃の私自身に対してのものでした。

私は娘に幼い頃の自分を重ねて見ていたんですね。

キレたくないのにキレてしまう、感情的になる自分を止められない

ちょうど30歳の時、自宅の一角に小さな美容室を開業しました。

仕事は順調でしたが子育てには相変わらず悩んでいました。特に娘との関係性はこじれていく一方でした。

自我が芽生えた子供が自分の意見を主張するのは当然のこと。

けれど当時の私は、子供たちの想いを尊重するどころか 自分の思い通りにコントロールしようとしていました。

そんなことにも全く気づかず

「大人になって困らないように」
「危ないから」
「笑われるから」
「子供たちの為なんだから」

私は良かれと思って言っているんだ
そう信じて疑いませんでした。

親としての間違った責任感や支配欲はどんどんエスカレートしていきました。

この頃、私の顔からは笑顔は消え

「いつも私が我慢している」
「何でイライラさせるの」

と、被害者意識ばかりが強くなり 夫や子ども達を思いやる気持ちは全くありませんでした。

次第に娘は自分の意見を言わなくなりました。

「言ったところでママは聞いてくれない、どうせ否定されるだけだ」

と思っていたそうです。
(関係性が修復できた後に当時の想いを娘が教えてくれました)

けれど、そんな娘の態度が私のイライラを更に増幅させました。

些細な事でも
カーッとなって怒鳴ってしまう
キレてしまう自分を止められない

感情的になってしまう自分のことが怖くなりました

娘を注意するときは夫にお願いしました

このままでは娘の心を潰してしまうのではないか…私が話すよりも優しい夫の方がいいに決まってる…

そう思ったからです。

この頃の私は完全に自分を見失い、怒りの感情を抑えることができず…でもどうすることもできずにいました。

セラピストの世界との出会いが大きな転機となる

開業の疲れもあってか私は体調を崩すことが増えていきました。

体質改善のために始めた「よもぎ蒸し」で驚きの効果を感じた私はセラピストの世界に興味を持ちはじめました。

まず、よもぎ蒸しについて学び、リンパマッサージのスクールにも通い始めインストラクターの資格も取得しました

美容師一筋で生きてきた私にとって新たな世界は、とても新鮮でした。

もちろんスクールに通うことを簡単に決めたわけではなく、主婦の私が自分のために、お金を使うことに罪悪感を感じ決断するまで時間がかかりました。

そんな私の背中を押してくれたのは夫でした

「やりたいんやろ?」
「自分のやりたいこと我慢することないやん」

と、応援してくれたのです。

母子家庭で育ったけれど、母のおかげでお金に苦労することはありませんでした。

ですが、「お母さんに迷惑をかけたくない」と思うことが多く、お金の面でも勝手に我慢してしまうことが多かったのです。

だからか、大人になっても「お金が減る イコール 不安」みたいな感覚が根付いていて、夫婦喧嘩の原因の大半はお金に関する事でした。

夫婦の金銭感覚の違いから、私が一方的にイライラしてしまうことが多く、その度に夫に嫌な思いをさせてきたにも関わらず、
文句ひとつ言わず応援してくれる夫の優しさに、私の固まった心が緩まっていくのを感じました。

夫だけでなく両親や子ども達も「やりたいことはどんどんやった方がいいよ」と心から応援し率先して協力してくれました。

新たな学びを始めたことで沢山の良縁にも恵まれ、家族にも応援してもらえて毎日楽しくて仕方ありませんでした。

自分の心が満たされたことによって、いつもイライラ しかめっ面だった私の顔にも笑顔が増えていきました

それだけでなく家族にもいい連鎖が生まれ家の中が明るくなっていきました。

この経験から

「我慢や犠牲からは何も生まれない」

「自分の心が満たされて初めて人に優しくなれるんだ」

ということに気付かされました。

その後も私は止まることを知らず、周りの人も驚くほど目まぐるしく変化し続けていきました。

自分の過ちに気づけた瞬間

ある日、とある講座で たまたま隣の席に座った人から「今度、面白いセミナーがあるんだけど参加してみない?」と誘われ 興味を持った私は行ってみることにしました。

このセミナーこそが、自分の心の問題に気づき、娘との関係性を修復するキッカケとなった「個性心理学」との出会いでした。

個性心理学で自分の個性は勿論のこと、家族の個性を知った私は愕然としました。

自分ばかりが我慢していると思っていたのは、とんでもない間違いでした。

私は家族がストレスに感じる事ばかりしていて、特に娘の才能を伸ばすどころか潰してしまうような言動ばかりしていたのです。

「家族の方が我慢してくれていたんだ、私はずっと周りの人に守られていたんだ」ということにやっと気づけたのです。

被害者意識が強かった私が、自分の過ちに気づき、これまで支えてくれた家族や友人たちに 心から感謝できた瞬間でした。

個性心理学を知ってから、自分のこれまでの行いを反省し自分自身を変える努力を始めました。

この出来事をきっかけに「もっと詳しく学んでみたい」そう思った私は、個性心理学カウンセラー・認定講師の資格を取得し、個性心理学を活用したカウンセリングをスタートさせました。

やっと気づけた 生きづらさの原因

少し前からブログを書き始めていたこともあって、個性心理学セッションをリリースすると同時に沢山の方からお申込みを頂きました。

これまで200名以上の個性をみさせて頂きましたが、私のところに来て下さる方には ある特徴がありました。

その特徴とは
生まれ持った性格・才能を活かせてないこと

また開運方法を知ってもメンタルブロックが強く行動に移せない」という事例がとても多くありました。

そして、それらは私自身も感じていた事でもありました。

お客様のお悩みを聞き、アドバイスするたびに「あれ?これって私にも言える事じゃない?」と思うようなシーンが多くあり、
過去の私にそっくりな人ばかり引き寄せるという不思議な現象が起こったのです。

お客様の悩みや気持ちに寄り添うたびに自分自身が癒されているのがわかりました。


深い癒しを感じる中で、反対に疑問に思うことも増えていきました

「人生うまくいく人と、そうでない人は何が違うのだろう?」

「生まれ持った才能を知って 人生変えていける人と そうでない人は一体何が違うのだろう?」

私は「もっと人の心の仕組みを知りたい」と考えるようになりました。

探究し続ける中で、インナーチャイルドやアダルトチルドレンの存在を知り 「親との関係性や育った環境に答えがある」

という結論に辿り着きました。

ここから、心の奥にしまっていた幼少期を振り返り 自分の内面と向き合う日々が始まりました。

突然発症した社会不安障害

仕事は忙しかったけれど、毎日がとても充実していて 家族との関係性も安定しつつありました。

どんどん行動し、インストラクタ―としての講師活動 セラピストスクール SNSの投稿など… 人目に触れる機会が増えていきました。

当時の私はノリに乗っていました。全てのことが恐いくらいに順調で本当に楽しかった。

けれど、それと同時に強い劣等感や焦りを感じていました。

SNSを始めたことによって「自分の自己肯定感の低さ」を痛感していたのです。


・イイねやフォロワー数に一喜一憂してしまう

・周りの人の活躍を見て焦り不安になる

・嫉妬や劣等感

・人と比べて自分はダメだと思ってしまう

劣等感を感じてしまう弱い自分が嫌でたまらなくて「劣等感を感じたくないからもっと頑張る」というように、どんどん自分を追い込んでいきました。

自分の気持ちを無視して頑張り続けたことで、ある時突然、身体に異変が起こりました。

人前に立つと過剰に緊張し、動悸、冷や汗、手が震えるなどの症状が出始めたのです

特に酷かったのは人前だと手が震えて字が書けなくなる書痙(しょけい)の症状でした。

弱い自分を変えたい その一心で行動し続けた日々

突然発症した社会不安障害にくじけそうになりながらも

「このまま終わりたくない」
「弱い自分を変えたい」

その一心で 私は頑張り続けました。

この頃からブログの発信内容は変わり、幼少期のこと社会不安障害のことなど、ありのままを発信するようになっていきました。

すると、ありのままを綴ったブログが読者の共感を呼び

「私も同じことに悩んでいます」

「いつも勇気をもらっています」

「直子さんのブログのファンです」

など…同じ悩みを抱えている人たちから有難い声を頂くようになり 実際に会いに来て下さる方が増えていきました。

(当時はアメブロで発信してました)

一番驚いたのは、遠方や県外からも会いに来て下さる方もいたこと。

「私の幼少期の経験や つらかった過去が 誰かの役に立つんだ」

「こんな私でも誰かの役に立てるんだ」

と思いました。

次第に「ブログの書き方を教えて欲しい」という声も頂けるようになり、ブログ講座も主催することになりました。

ブログ講座は口コミで広がり 延べ60名の方が受講してくれました。

その後も、不安を感じながらも挑戦し続け 資格取得やスキルアップに励みました。過去の私とは比べものにならないくらい、成長できたことも感じていました。

「もう私は大丈夫」
「自己肯定感も上がった」

何度もそう思いました。

けれど、

・いつか誰からも必要とされなくなる日が来るかもしれない

・頑張ってないと自分を認めることが出来ない

・いつも追われている感覚

不安や焦燥感は消えることはなく、頑張っても頑張っても振り出しに引き戻されるのです。

見落としていた一番大切なもの

いつまでたっても消えない不安、焦燥感、欠乏感。自分への過剰な期待と挫折を繰り返す日々。

そんな生きづらさを克服できる瞬間は、極々平凡な日常の中でやってきました。

落ち込んだ時、しんどい時、つらい時、悲しい時。どんな時も「頑張ること、我慢すること」しか、自分の心を保つ方法を知らなかった私。

自信がなくても怖くても
まずはやってみる

この精神で、自分が決めた限界の枠を越えようと頑張り続けたけれど
最終的に克服に繋がったのは、頑張ることでもスキルアップでもチャレンジすることでもありませんでした。

私は一番大切なものを見落としていたのです。

大切なことに気づくキッカケをくれたのは「娘」でした。

その頃、こじれてしまっていた娘との関係性も随分と修復し、一緒に過ごす時間や会話も増えていました。

ある日、娘とのたわいもない会話の中で自然と私の幼少期の話になり、そこから娘が幼かった頃の話になりました。

「悲しい思いをいっぱいさせたよね」

「こんなお母さんでごめんね…っていつも思ってたよ」

「あの頃は本当にごめんね」

と、自分でも驚くほど自然と言葉にできたのです。

胸の中に、ずーっとありながらも今まで伝えられなかった母親としての想い…でした。

すると娘は、私にこう言ったんです

「嫌な思いをしたこともあったけど 私はママに謝ってもらうような可哀そうな子じゃないよ」

その言葉を聞いた瞬間

涙がとめどなく溢れて止まりませんでした。長年感じていた罪悪感を、やっと手放せる気がしました

ずっと娘に重ねて見ていた、幼い頃の私も「良かったね」とニッコリ笑っている気がしました。

その日を境に、私の中の何かが明かに変わり

これまで感じてきた訳のわからない怒りや不安の原因も

なぜ、こんなに劣等感を感じてしまうのかも

なぜこんなに失敗が怖いのかも

頑張っているのに自分を認められない理由も

全部、幼少期のトラウマに繋がっていることに気づけました。

幼い頃、祖母の家に預けられた、あの時から全ては始まっていて

・母親に見捨てられる不安
・自分はいらない子
・ありのままの自分では愛されない
・優れた自分にしか価値がない

愛されないことへの不安や恐れの感情が全ての原因だったのだと、やっと理解が出来たのです。


不安や恐れを感じながら、これまで一生懸命 生きてきたのかと思うと

「つらかったね」
「寂しかったよね」
「これまで良く頑張ったね」

と、自分を労う気持ちでいっぱいになりました。

これまで ずっと

「弱い自分は嫌だ」
「強くなりたい」

そう思って頑張ってきたけれど 私に必要だったものは「強さ」ではなく「ありのままの自分を受け容れ、認めること」だったのです。

私は、家族との絆を新たに築き直せたことで「家族がいれば何があっても大丈夫」と思えるようになりました。

ありのままの私を受け容れ、安心という心の土台を再構築することができたことで、正体不明の不安や恐れから、やっと解放されたのです。

失敗しても大丈夫
そんな安心感があるからこそ
人は皆、チャレンジできるようになる

完璧な人なんていない
未熟な自分や弱い自分を許し受け容れることで前に進む勇気をもてるようになる

この大切なことに気づけるまで本当に遠回りをしました

長い長い道のりでした。。。

最後まで読んで下さった あなたへ

長い長いプロフィールを読んで下さり本当にありがとうございました。

現在の私は、

自分を守るために身に付けていた幾つもの鎧を脱ぎ捨て

肩の力を抜いて ありのままの私で 毎日穏やかに暮らせています。

娘の相談にのったり一緒に買い物やランチに行ったり…と、幼い頃に築けなかった親娘関係を今も育み続けています。

思春期真っ只中の息子の子育てに悩むことも勿論あるけれど、今の私なら何があっても大丈夫だと思えます。

何故なら「どんな私も居ていい」「私は一人じゃない」そう思えるようになれたからです。

夫や義父・義母は相変わらず優しく愛に溢れています。 実家の母とも良い関係性を築けています。

これまで色んなことがあったけれど 私は今、とても幸せです

・頑張っているのに報われない

・知識はたくさん得てる筈なのに一向に変われない

・何度も繰り返し同じような問題が起きる

このような悩みを抱え、何とか解決しようと頑張るけれど 改善するどころか こじれる一方で悪循環に陥っている方が多くいます。

こういった悩みの原因の大半は「幼少期の育った環境」にあり

また多くの人が、本当の原因に気づかずに間違った方向に頑張り続けています。

過去の私のように自分の心の問題を自覚できていないがために、

苦しまなくていいことに苦しみ続けたり、夫婦関係や親子関係が破綻してしまうなど

悲しい結果になってしまうケースも多くあります。

愛着障害やアダルトチルドレンは親から子へ「連鎖」する

また、愛着障害やアダルトチルドレンは 悲しいことに世代を越えて受け継がれるケースが多くあります。

私と娘もそうですし、後から わかったことなのですが 私の家族も世代間で連鎖していたケースでした。

生き別れになった父も、祖母から過保護に育てられ 結果、大人になっても自立することが出来ずギャンブル依存に苦しむことになりました。

母もまた、体の弱かった祖父の代わりに家計を支えていた祖母の姿を見て育ち、幼い頃から祖母の代わりに炊事・洗濯を任されたりと、子供時代を子供らしく過ごすことが出来ずに苦労して育ったようです。

私も生きづらさを抱え生きてきましたが、私の弟も また事業に何度も失敗したり 病気を患ったりと波乱万丈な人生を歩んできました。

アダルトチルドレンが抱える愛着の問題は 気づかないうちに親から子へ連鎖していきます。

こういった 悲しい不幸の連鎖をなくしたい。この強い思いが、カウンセラーとしての原動力になっています。

アダルトチルドレンや愛着の問題は ただ頑張るだけでは解決しません。

適切な方法と順番がとても大事になります。

そして、、、

世代間連鎖を断ち切れるのも

あなたの人生を変えられるのも

「あなただけ」です

次はあなたが幸せになる番です。

最後までお読み下さりありがとうございました。

まずは、無料で学んでみよう。

子どもを怒りたくないのに怒るのをやめられない、子どもを可愛いと思えない本当の理由がわかる!

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